兵庫県加古川市小学生刺殺事件

1、現場概況

事件当日、女児は小学校から帰宅した午後3時頃、妹らと一緒に自宅から北東に500mの地点にある公園に自転車で向い、その後公園から幹線道路を隔てた西10mに位置する、友だちのマンション駐車場入り口付近へ移動してあそんだ。友だちの母親が「もう6時ですよ」と声をかけたことから皆、帰路につくこととなったのである。

公園から自宅へのルートは2通り考えられる。1つは住宅地内を走る道路であり、ここは車の交通量が少ないため付近の子どもたちはしばしば利用するが、灯が少なく、帰宅時間帯には周囲は真っ暗になる。

一方、幹線道路沿いのルートは明るく、通行量も多い。どちらを選んでも公園から自宅までの時間にそれほど差はない。

女児は午後6時前に自転車で友だちのマンション付近を出発し、幹線道路を南下する明るい道を通って帰ったと見られる。この頃、自宅ではなかなか帰らない女児を心配し、姉妹がしばしば玄関から顔を覗かせ帰宅を待っていた。午後6時近く、女児が到着した自転車の音を聞き、家族が外へ出て女児とひと言ふた言、言葉を交わしホッとして家の中へ入っていった。そうして再び1人になった女児が、自宅東側の農道を通って南側に移動し、自転車を置いたその直後、農道から女児の「ぎゃ~っ!!」という悲鳴があたりに響き渡った。女児刺殺事件の発生である。家族と別れてたった1分の空白であった。

事件現場は当時街灯がほとんどなく、女児の帰宅した午後6時頃から刻々と深い暗闇が広がり始める。犯人は自宅周辺に点在する繁みや自宅裏の畑などに身を潜ませ、日の暮れる時間帯を待っていた可能性がある。妹は4時頃、姉より先に公園から自転車で帰宅しているが、彼女が被害に遭うことはなかった。当初から女児をターゲットと定め、暗闇と女児が1人になる好条件が揃う瞬間を捉えようとしていたとも考えられるのだ。

事件現場の物理的環境を見てみよう。女児が刺された地点は、自宅東側にあたる農道である。これは行き止まりにある幼稚園裏側まで65mほど続く。隣家との境界には農道への入り口から高さ2m程の生垣があり女児宅への視界を遮っている。

一方、自宅正面北側、幅員4mの生活道路を挟んだ向かい側には、若い世代が暮らす新しい一軒の民家がある。道路に面した敷地部分に数台分の駐車スペースを確保し、住宅そのものはセットバックして建っていることから、住人宅から女児宅へ向ける視線は遠い。住人宅の両側は空き地があり、一方のそれは更地であるためその先にある建物から現場へ視線を走らせるには困難な距離が存在する。反対側の空き地には大人の背丈ほどの草が生い茂り、犯人がここに潜み隠れることも十分可能だ。

このように事件現場は、四方から人の見守りや監視の目を期待することは難しく、監視性の低い場所であった。また生活道路にむき出しに建てられた女児宅は領域性が確保されておらず、動線制御性の面から見ても誰でも自宅を取り巻く360度から自由にアプローチできる立地にあり、周囲には犯人が身を潜めるのに適している草木の生い茂った場所もある。

さらに女児宅のあるこの住宅街は幹線道路に続くいくつもの路地が行き交い、犯罪企画者にとってターゲットへの「近づきやすさ」と共に犯行後の逃げやすさ☆のある、犯罪の「やりやすさ」が揃った環境だったといえるだろう。

しかし、物理的環境から犯罪の起こりやすい状況があったとしても、この場所も常時犯罪の起こる危険な場所だということではない。先の犯罪企画者の行動予測から見てもわかるように、犯人は時間経過に伴って生じる「闇」という空間と、ターゲットである女児が1人で帰宅するタイミングを狙い待ち、自らにとって好条件の重なるたった1分の機会(チャンス)を捉えたと考えられる。犯罪が引き起こされる条件は、どこにでも“瞬時”訪れるのだ。

2、浮遊する生活空間

女児を取り巻く生活環境を見ていこう。この場合の「浮遊」とは、本来そこにあるべき姿から浮き上がって孤立する、もしくは存在するかのように見えながらも揺れ動いて定まらない状態を指す。

3、浮遊する地域

加古川市内のこの地域は、県の中心から南端に位置し、1965年頃まではどこも農村風景であったが、その後、大手鉄鋼会社の工場が新設され、また京阪地区のベッドタウンとしての開発が進み、人口流入が進んだことで新住民の厚い層が定着した。

一方で旧来からの住民の一部は、相続税の引き上げなどによって代々の土地を手放していき、そこへ新しく戸建てあるいはアパートが建ち並んでいった。こうしてこの地域は新旧の住民によって二分され、最寄りのJR駅北側は活気が見られるものの、事件現場を含めた以東には静寂と高齢者が多く残された。さらに時間の経過と共に、旧家は空き家となったまま点在し町の真ん中に空洞化が起こっている。それはその地に本来あるべき姿から浮き上がって孤立した状態、すなわち浮遊化の始まりともいえる。

4、浮遊する住戸空間

被害女児は3人姉妹の次女である。事件発生の1年程前、両親の離婚により、母親と姉妹と共に祖父母の暮らすこの家に移り住んだ。祖父母は2戸で1つを形成するタウンハウス形式の借家に20年前から住んでおり、祖父母のほか、叔父(女児家族が来る以前に離婚し戻ってきた)と従兄弟2人(高校生と中学生)、そして女児家族の9人で暮らしていた。隣には老齢の女性が1人で暮らしている。先述のとおり建物裏手には畑地があり、農道を挟んで東側の隣家との境に植栽が連なり女児宅とは隔絶した景観を生み出している。すなわち女児の住む住宅は、隣家と連結はしているものの近隣住戸とは接しておらず、住戸そのものが周囲から「浮遊」している状態は、あたかも家族の状況を象徴しているかのようでもある。

5、浮遊する家族と近隣関係

祖父母はここに永年暮らしながらも、連結する隣家の婦人との関係を含め、近隣との交流はほとんど見られなかった。女児の母親も叔父(女児母親の実兄)も、近隣住民との結びつきは希薄な関係にあった。

そのため町会長ですら、事件が起こるまで祖父母宅の家族構成さえも知る術のない関係だったという。小さな町の中にありながら、事件後女児の葬儀連絡が町会に届くこともなかった。

このように借家内に、3世帯9人が同居する複合家族であり、それぞれの事情が形成させたであろうこうした形態は、親族とはいえ、家族内、各世帯間、または個々人の結び付きさえそれほど密ではなく、皆が浮遊しながらも寄り添って生活していたと考えられる。それはまた、いつでも切れてゆく可能性を持ち合わせた、生活自体がその地に根付かない仮住まい、浮遊する家族の状態でもあった。

6、浮遊する女児の生活

浮遊状態にあったのは家族だけではない。姉妹はここへ居を移したことによって、本来ならばこれまで通っていた小学校でなく新居である自宅から200mと近くなった小学校へ転校するはずであった。しかし女児は、友人と別れたくない等の理由で、500m先に離れたこれまで通りの小学校へ通学し続けたという。通学路に選ばれた経路は大通りではなく、旧来からの住宅地に狭く細く曲がりくねった迷路さながらの道を独自の近道として集団登校に合流していた。そのため母親は毎朝、小学校の北に位置する旧住居近くまで徒歩や自転車で姉妹に付き添い、下校時は学区域を越える地点から女児らと合流して帰っていた。

このように、女児は独自の通学スタイルを持ち、新居の近隣児童と一緒に学区域内の学校へ通うことなく、周辺の子どもたちとは反対の方角へ独自に通い続けたことは、女児が近隣環境へ軸足を降ろすことを少なからずためらわせる結果を生じさせたのではないだろうか。

女児の生活基盤は、学区外の小学校と自宅の2地点間を中心に浮遊状態にあったと診られる。先述の通り、子ども被害事件が大都市圏から離れた地方都市への移行化現象と、都市の周縁部で発生する移動傾向は、個人の移動や浮遊にまで及んでいると言い換えることもできる。

7、浮遊する人間関係

本事件全体を眺めて思い描くことができるのは、物理的な環境と共に「浮遊する家族」の肖像である。女児やその家族は近隣社会との絆が形成されず、日常的に「近隣から見守られる目」が希薄だったことが、本事件の何らかの要因となっていると見ることもできよう。

また加古川は地方都市開発とそれに伴う人口急増によって、これまでの地域コミニュティーのあり方に大きな変化をもたらしてきた。それは町の変化であると共にそこに暮らす人の変化であり、それは当然、この町にももたらされた。

こうしてこの地を舞台に、累積された物理的、人的、心理的浮遊状態が女児事件に起因していったと診る(診断)ことができる。

このように希薄で浮遊した人間関係は、これまで「大都市特有の人間関係であり都市空間特性」と思い描かれた。しかし、本事件のように加古川という地方都市の、それも小都市郊外部にあたる旧住宅と新興住宅がまだらに入り交じっているが“何ともなさそうな”地域でも人的浮遊状態が生じ、それが子ども被害事件に何らかの影響を及ぼしているのである。

おそらく殺害された女児の背後には、もしそれが突発的で通り魔的犯行でないならば、その場から浮き上がって定まらない浮遊する家族全体の問題、あるいは浮遊する近隣社会との問題が潜んでいるとも考えられる。

換言すれば、加古川女児刺殺事件は “子ども殺害事件”自体の問題だけではなく、子どもを取り巻く大人同士の人間関係の変化、それもいとも簡単に「子どもを殺める」という「子どもを包む大人社会の取りとめもない心の浮遊化=大人社会の無規範化(アノミー)」の進行を見て取ることができよう。

犯罪の発生機序から、人的、物的環境バランスの崩れた町は、そこに広がる各家庭の中へ入り込む犯罪を押し返す力が脆弱である。また反対に、家族関係が揺らいでいる場合には抱えている問題が可視化し、家庭から社会へ犯罪化し出ていくのをつなぎめとることができないことを、T・ハーシーの社会的絆の理論が示している。加害者として犯罪に巻き込まれてゆく力弱い人を見守り、包み込む家族のつながりが希薄であるため犯罪化を防ぎ切れないのだ。

こうして加古川女児刺殺事件の発生には、外来性と内部起因の二重構造が伺われ、内外からの犯罪抑止力が機能しなかったのではないかと推察することができる。

「0歳からの子どもの安全教育論」宮田美恵子 より
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