広島県小学生殺害事件

事件概要

2005年11月22火午後3時ごろ、広島市の東端に位置する地域の空き地で、放置されている段ボール箱が見つかった。箱は粘着テープで幾重にも巻かれており、中からは身体を丸めてぐったりした小学1年生(7歳)の女児が発見され、すぐ病院へ運ばれたが午後4時ごろ死亡が確認された。

犯人は、被害児童の通学路にあるアパートに暮らしていたペルー国籍の男であった。

1、事件概況

事件当日、女児の通う小学校では来春入学予定の就学前検診が予定されており、全児童は午後12時30分ごろ一斉に下校したとされる。しかし集団下校などは行われず、女児は一人で下校したという。

学校から女児の自宅まではおよそ1.5km、段ボール段ボール箱の見つかった空き地はその中間地点にあたる。最寄りのJR駅からは南西に500mの地点に位置し、周辺は旧来からの住宅のほか、新しい住宅やマンション、駐車場なども造られ始めている。工場の進出によって、他所から転入してきた新住民も多い。現場周辺は昭和初期まで、かもじ(現在のかつら)産業で栄えた地域であるが、その豊かな暮らしの中で結ばれていた住民間の緊密なコミニュティーも、新たな住民が増える中、次第に揺らぎが生じていたことは想像に難くない。
そもそもこの地域の地形は海と山から成り、平地部が少なく沿岸部を埋め立てることで工業団地がつくられ、市内には大手企業の工場などが進出し外国人労働者も多く働いている。参考までに事件当時、住民台帳に登録をしていた外国人は1186人、617世帯である(2005年12月末、事件当時の安芸区データより。
近くには陸上自衛隊第13旅団司令部があり、女児一家はこの司令部に所属することとなった父親と共に、事件の3ヶ月前に千葉県船橋市から越してきたばかりであった。

女児の通った小学校は丘陵部の高台にあり、自宅のある平地部から勾配のある坂を登りつめていく位置関係にある。学校へと続く坂道の途中で後ろを振り返れば、下方には埋立地とその先に海が広がる。反対に坂の前方を見上げれば、左右に切り立った壁面がカーブしながら校門まで続き、圧迫感をもたらしている。
小学1年生にとっては長く感じたであろうこの坂を一歩一歩登るたびに、学校と地域が分離されていくかのようである。万一ここで子どもが不審者に狙われたなら逃げ道がない。地域の見守りの目が届かない監視性の脆弱さも感じられる。仮に学校内へ不審者が侵入するような緊急事態が起こっても、下界にある地域から孤立してしまうことが予想され、危機管理の面でも物理的環境設計に起因する難しさが伴う。この小学校は平地が少ない制約付き地理的条件下で、人口の急増に対応すべく建てられたのであろうが、物理的、精神的にも地域から分離されている感が否めない。
事件当日も女児は高台にある学校からこの坂を下って下校した。途中にある墓場を通り過ぎ平地部へ出ると、先ほどの旧来からの民家が姿を現し、そのどっしりとした家構えが生活道路を挟んできれいな曲線を作り出している。今では途切れ途切れになった塀は、かつては個々の家をきっちりと仕切り領域性を保っていたことであろう。
そうして向かい合って建っている民家から道路に住民の自然な見守りと監視の目が注がれ、地域や子どもを守ってきたことが伺われる。しかし、コミニュティー「ゆらぎと再構築」の過渡期にある現在は、物理的な建物だけでなく人々の意識や生活スタイルまでもが連帯から個へと内向していることを思わせる。人的物的にも新旧が混在している状態は、単に旧来の状態を復旧させるだけではなく、あらためて結び合い創り上げるという意味での「再構築」を迫っているといえるだろう。
犯人が女児に声をかけた場所は、そうした地域の移り変わりの中でつくり出された空間である。犯人は駐車場のフェンス前にある石段に腰掛けて子どもの下校を見ていた。そこへ女児が1人で通りかかり彼に声をかけられたのである。

2、分離された特別な場所

女児が声をかけられた地点は周囲から視界を遮るものもなく、どこにでもありそうな風景である。さして特筆する必要のない、むしろ女児にとっては「私の通学路」という安心感を伴う空間であったであろう。そうした“何ともなさ”が、かえって女児と犯罪者との間に関係性を生じさせるきっかけとなったということもできる。言い換えれば、ここは特別でないが危険性も有した“場所”だったのだ。それについては第2章で詳述するが、学校で子どもたちに指導されている現行の安全マップは、危険な場所を特定のキーワードによって見つけ出させる安全対策である。こうした手法の場合、写真のような場所の醸し出す“何ともなさ”がかえって盲点となり、大人がそこを“危険な場所”と認識し子どもに注意を促すことにはなりにくい。子ども自身も警戒心が下がる“何ともない”場所である。少なくとも特別な場所とは映らない。また、この周辺は一見すると重厚な静けさを感じさせる住宅地であり生活道路ではあるが、行き交う人も多く挨拶を交わす旧来からの住民、自転車やバイクなどはむしろしばしば通り過ぎていく。「ここは静かではないよ、人も車もよく通る」と近隣の人は話す。女児の下校時刻にあたる12時30分頃の周辺は明るく、事件当日のその時間だけ、この生活道路の様子に大きな変化があったとは想像できない。

“特別な場所”というなら、むしろ平地から見上げる高台に聳え(そび)立つ学校の方が、そう表現するにふさわしい。その特別な場所から両側に切り立ったコンクリートの壁に威圧されながら降りてくる坂道は、ランドセルが小さな体に緊張感あるリズムをもたらしたことだろう。下り坂途中にある墓場を横目に平地へ降り立ち、生活道路に出たとき女児に安堵感が生まれたのだろうか。そうしたちょっとした心の緩みに、優しいお兄さんの声がささやいたのである。「HOLA!(こんにちは)」と。

「0歳からの子どもの安全教育論」宮田美恵子 より
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